残念
うちのここあが、2019年2月5日午前1時5分に永眠しました。
13歳と6ヶ月13日
2005年7月22日生まれだから、、 |
自然は、残酷である。
老衰ではなく、がん細胞にやられたのだ、、、
ガンが見つかってから半年生きた事になる、、
ここあ、
時に小憎らしく噛んだり、風呂上がりに暴れたり
、、、
でも、いつも家族みんなを明るく楽しく癒してくれた、ここあ!
小さいな3キロの身体を、ガンの奴が蝕んで、2キロまで痩せてしまった、、
細い身体で、最後の最後にまで、頑張って生きた、、
家族全員ご、揃うまで、頑張ったのだ!
全く身体を動かせなくなってから、1日と
4時間くらい、何も食べず、水すら飲まず
たまに、か細い鳴き声で、鳴く
たくちゃんが、大野駅についたのが、24:36分、
車で迎えに行って、24:45くらいに到着
息も絶え絶え、
目も半開き、口も半開き
たまに、か細い声で鳴く、
なくなる5分前には、むくっと起き上がって、右後ろを振り返った、、
たぶん、膀胱癌か、背骨に転移でもしたのか、
背骨あたりが、すごく痛かったんだろう、、
誰かがなんか、しているとでも思ったんだろう、、、
最後の力を振り絞ったんだなぁ、
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どこへ連れていっても、必ずかわいいと声をかけられる、自慢のココアだった。
歳をくってから、白くなり始めても、可愛いさは変わらなかった。
いつのまにか、完全に、家族の一員だった。
末っ子の男の子だった。
甘えん坊で、頭のいい子だった、、
犬見知りだったけど、、、
ずっと、忘れないよ、ここあ!
家族の愛犬は、ここあだけだ!
天国で幸せに、
いずれ、そっちにいくから、、待っててね!
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本当にいい子だった、、
もっと、こうしてあげれば良かったとか、色々思うけど、、、
ガンとの闘病が始まってからは、なんとか薬を飲ませる、騙し合い、、
賢いから、一度入れたエサには、不信感をもって、調べてから食べる、、
粉薬だと振りかけられるのだが、
錠剤は、砕いて二分の一にして、野菜ブロックの中に押し込んだ、、
だから、次々とエサのメニューを変えていかないと、食べなくてなってしまった、、
だだ、本人にとっては、毎回新しいご飯をもらえて、うれしかったのかも?
いや、
父さんと、母さんとの、3人での散歩は、
たいてい真ん中を歩いて、シッポが上がる、、
他の犬から守られてる気がするのだろう、、
ご機嫌に歩く、
最後のお気に入りは、紫ナスのめいぐるみ、押さえるとピッと音がする。
母さんと遊ぶのが一番好きだった、ここ!
晩年は、近くに母さんが居ないと、寂しいのか、
吠えまくる、、
ガンが進行してからは、
排便、排尿は、困難を極めた、
実は、ガンの前に膀胱結石もあったのだ。
まず、排尿、
ジョーっとは、出なくなった
ポタポタ、そのうち、血尿、
日が経つにつれて、血の色も濃くなってきた。
どこで、どんなおしっこをしてるかわかりやすくする為に、
ココアの行動範囲を柵や段ボールで囲ってみた。
そのなかには、色々な敷物や、トイレシートを履きまくった。
こうしておくと、どこでどんなおしっこしたかよくわかるのだ。
ただ、今まではリビングのどこへでも行けてたのが、制限されたわけだ、
約半分の広さだ!
ところが、よく脱走した、、
色々考えてるんだな、、
あの手この手を使って、いつのまにか、出てきている事があったっけ、、
まーさご、柵外に出てると寂しくて、柵に乗りかかって吠えてた、、
すごい寂しがりやだったなー
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悲しいけど、
ここにとっては、
辛い痛みと闘かわなくなって良かったかもしれない、
見ている方も、辛いが、
最後を看取れないのも寂しい、
犬も、人も最後は同じなんだ、、
家族全員が揃って |
ここあと、よくした事
近所の散歩
相模原公園、保育園の裏の公園、
一緒にお買い物、車内でお留守番
湘南、
それぞれの実家、
自転車のカゴに入ってお散歩
チョイノリのカゴに入ってお散歩
暇さえあれば、どこかに行く時に、お供させたっけなー
猛暑のとき以外だけどねー
お風呂、ペットで一緒にねんね。
ぬいぐるみ投げ
黄色いボール
紫のナスビ
心の奥深くまで、根が張っていた感じ、、
心にポッカリ穴が空いた感じです。
13年間というのは、短い様で、長いし
もっとも、子供達が思春期から大人に育ち一番多感な時代を共に生きた。
親も、激動の時代であり、職も色々変わった、、
そういう意味で、家族史の中で激動時代を共にした、、
家族を繋いでくれたのも、ココアの力をがとても大きい、、、
おすわり、おて、おかわり、よし、も出来たし!
ちょうだい、
仕事でうまくいかないとき、疲れたときは、
手や顔を舐めて癒してくれた、
ほんとうに、いい子だった、、 |
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